2023年ワールドカップラグビーの開始まであとわずかになりました。
今回は日本代表の中で、ハーフ顔だけど日本人名の松島幸太朗について、ご両親の出身地や国籍はどこなのか、また学歴や経歴についても調査してみました。
このページで学べること
両親の出身地と国籍と学歴
松島幸太朗選手はハーフということがよく知られています。
立派な体格と闘志あふれるプレーはハーフならではなのでしょうか。
そんな松島幸太朗選手のご両親の出身地はどこなのでしょうか?
両親の出身地
松島幸太朗選手の父親は南アフリカのジンバブエ人でロドリック・ンゴロさん
母親は、日本人で 松島多恵子さんです。
父親はジャーナリスト(新聞記者)で母親はNGOの研究員です。
松島幸太朗さんの母親多恵子さんは、南アフリカに旅行に行った時に父親のロドリックさんと出会ったそうです。
松島幸太朗選手の国籍と生い立ち
国籍
松島幸太朗さんは南アフリカ共和国のプレトリアル生まれです。
松島選手はハーフですが、国籍は日本国籍を所有しています。
6歳頃までは南アフリカで生活していましたが、
小学生時代に親の仕事の関係で日本(東京)に移住しました。
父親はジャーナリストで活動拠点は南アフリカ
日本では、ほとんど母親と二人暮らしだったそうです。
小学校時代は、サッカー好きだった父親の影響でサッカーをしていて
そのころの夢はプロのサッカー選手でした。
でも、練習がきつくなると他のスポーツに逃げたり
していて、思い入れはなかったようです。
ラグビーを始めたきっかけ
松島幸太朗選手がラグビーを始めたきっかけは、
中学1年の時に1年間南アフリカに帰国したことでした。
通った学校にはサッカークラブがなく、
学校の先生に勧められたラグビークラブに入ったそうです。
南アフリカの国技はラグビーです。
攻めては、大柄な選手の間をかいくぐり、守っては大きな選手を小柄な選手が倒す。
これはサッカーにない、ラグビーの面白さです。
松島幸太朗選手は、ラグビーの面白さを知り
ラグビーにのめりこんでいきました。
日本帰国後
帰国してからは、東京のラグビースクール(早稲田クラブ)に入り
ラグビーでも有名な桐蔭学園高等学校に入学しました。
ラグビー部で頭角を現し、第89回全国高等学校ラグビーフットボール大会では、
準優勝。
第90回の同大会では、東福岡高等学校と31-31の同点で、両校共に優勝しています。
高校生時代には高校日本代表にも選出されています。
本格的に始めたのが遅いにも関わらず、高校日本代表に選ばれるのは
身体的能力が高いと共に努力されたのだと思います。
松島幸太朗選手の経歴
高校卒業後は南アフリカに戻り
ラグビー育成組織のシャークス・アカデミーに2年在籍。
この時に南アフリカU-20代表候補に選ばれたものの
「日本代表になって、強豪国に勝ちたい」と辞退ししています。
松島選手は、子どものころに日本国籍を取得していますから
日本人として活躍したかったようです。
帰国して2014サントリーサンゴリアスに加入し、日本でラグビーを始めます。
2015年:スーパーラグビーのワラターズ(オーストラリア)
2016年:オーストラリアのレベルズ
2017年:サンウルブズに移籍
2019年の大会では日本代表史上初のハットトリックを達成しました。
松島幸太郎選手のプロフィール
名前:松島幸太朗(まつしまこうたろう)
ニックネーム:マツ、まっちゃん
生年月日:1993年2月26日
出身:プレトリア、南アフリカ共和国
国籍:日本
身長:178センチ
体重:88キロ
学歴:桐蔭学園高等学校、シャークス・アカデミー
所属:サントリーサンゴリアス
ポジション:WTB(ウィング)、FB(フルバック)
キャップ:50
ワールドカップにかける想い
松島 幸太朗選手は次のようにコメントしています。
日本代表メンバーに選出していただき、とても嬉しく思うと同時に
責任も出てくるので、緊張感と皆さんの応援を力に変えて
ラグビーワールドカップで力を最大限発揮してきたいと思います。
まとめ
松島幸太朗選手は、ジンバブエ人のお父さんと日本人のお母さんのハーフでした。
生まれは南アフリカですが、国籍は日本で、小学校のときに東京に移住しています。
中学時代の南アフリカ留学でラグビーと出会ってからラグビーにのめり込み
日本代表まで上りつめ、日本代表初のハットトリックを成し遂げました!
ラグビーでは、相手をなぎ倒して突進する大男の選手も魅力的ですが、
大男の間を抜き去っていく、松島幸太朗選手の動きにも魅了されます。