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【辻元清美】父親と母親譲りの「へこたれへん」実家の貧乏な生い立ちから議員…逮捕

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辻元清美の生い立ちは苦労が多かったと聞きます。

父親の会社の倒産から貧乏生活、やっと議員になって活躍しだした矢先の逮捕、そして政界へ復活。

ここでは、辻元清美さんの「へこたれへん」根性の基となった父親、母親の人物像そして、生い立ちなどについてまとめていきたいと思います。

 

【辻元清美】へこたれへん父親はどんな人?

倒産から紆余曲折し、うどん店を開業

辻元清美さんのお父さんは、元々商売をやっていましたが、繊維不況の影響で倒産。

この影響で、実家は転居を繰り返し、辻元清美さんも転校を繰り返すこととなりました。

父親の商売は、名古屋にいた頃に始めた立ち食いうどん店が軌道に乗り、安定したと言われています。

 

【辻元清美】へこたれへん母親はどんな人?

娘の潔白を堂々発言

辻元清美さんのお母さんは、大阪府高槻市のマンションで、辻元さんと暮らしています。

辻元議員に「内縁の夫」のデマが流れた時は、

内縁の夫というような嘘をどうか信じないようお願いいたします

と、娘の潔白を主張しています。

 

【辻元清美】実家の貧乏にも「へこたれへん」

辻元清美さんは、奈良県吉野郡大淀町に生まれました。

実家の商売が不安定で、幼少期は転校を繰り返し、不登校気味だったといいますから、少し意外です。

しかし、小学校3年生で高槻市立如是(にょぜ)小学校に転入し、そこの教師のおかげで、我々が知っている「元気な辻元さん」に変わっていきます。

高校は、名古屋大学教育学部附属高校を卒業。

 

NGO「ピースボート」を設立

高校卒業後は、デパートで2年間販売員として働いた後に、早稲田大学教育学部へ進学。

早大在学中、アジア諸国と日本の交流の活性化を目的としたNGO「ピースボート」を設立し、政治的な活動が始まっていきます。

 

見事、議員になる

1996年10月8日、第41回衆議院議員総選挙が公示。

党は辻元清美さんを比例の1位に登載しました。

10月20日に投開票し、

社民党は近畿ブロックで2議席獲得、辻元清美さん初当選しました。

 

そして逮捕…「辻元清美秘書給与流用事件」

辻元清美さんは詐欺事件をおこしたことを新潮によって発覚し、2002年3月28日、衆議院議員を辞職しました。

その直後に瀬戸内寂聴から

「あなた行くところないでしょう。私のところに来なさい」

との電話を受け、京都市嵯峨野の寂庵で約1カ月間、庭の掃除をしながら暮らしました。

 

政界へ復帰

2005年7月5日、郵政民営化法案が衆議院で可決するが、翌7月6日、小泉純一郎首相は、参議院で否決された場合ただちに衆議院を解散して総選挙を行うと明言。

同月末、辻元清美さんは福島瑞穂さんから「また一緒にやろう」との電話を受けます。

土井たか子さんからも8月8日の解散直前に「もう一度腹をくくってがんばれ」と励まされ、衆院選出馬の意思を固めます。

8月15日、社民党大阪府連は辻元清美さんを大阪10区に同党公認で擁立する方針を決めたと明らかにしました。

9月11日、第44回衆議院議員総選挙執行。

社民党比例近畿ブロックで1議席を獲得し、登載順位1位の辻元清美さん比例復活で3選。

 

ネットの声

批判的な声が多いようですが、先日起きた赤信号無視の報道があったことが原因だと思われます。

 

まとめ

【辻元清美】父親と母親譲りの「へこたれへん」実家の貧乏な生い立ちから議員…逮捕

について書かせていただきました。

ご覧いただきましてありがとうございました。

 

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