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大谷翔平が甲子園に出てないと言われる本当の理由|高校時代の苦い経験

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現在ロサンゼルス・エンゼルスで活躍し

2022年の年俸は550万ドル(日本円で約6億3,000万円)となる大谷翔平選手

伝説の野球選手ベーブ・ルース以来の本格的な二刀流と称されることも多い

才能あふれる彼の高校時代、甲子園については現在の活躍ほど語られることはありません。

そこで、大谷翔平が甲子園に出てないと言われる本当の理由を紐解いていきたいと思います。

 

大谷翔平の甲子園出場回数、いつ、何年の頃出場した?

 

大谷翔平高校時代、甲子園に出場したのはわずか2回

大谷翔平選手が甲子園に出場したのは全部で2回です。

2年生の時の夏の甲子園大会(第93回大会)と、

3年生(直前)の選抜大会(第84回選抜大会)の合計2度の出場です。

大谷翔平選手が所属していた花巻東高校は、2年生夏の大会で帝京高校、3年生春の選抜大会は大阪桐蔭高校とそれぞれ1回戦で対戦し、ともに敗れています。

現在の活躍から想像すると意外かもしれませんが、大谷翔平選手が甲子園で戦ったのは、たった2試合のみということになります。

 

大谷翔平の甲子園での成績

 

甲子園ではそれほど目立った活躍がなかった

大谷選手が甲子園に出ていないと勘違いされているのは、甲子園ではそれほど目立った活躍がなかったからだと思われます。

前述した甲子園出場の際、この両方ともで大谷選手は本調子でなかったうえ、対戦相手が1回戦から「帝京高校」「大阪桐蔭高校」とくじ運にも恵まれなかった印象す。

そうして、どちらも1回戦で敗れていますので、甲子園で活躍した印象が少ないのだと思われます。

甲子園通算成績は投手として14回を投げ防御率3.77、打率は3.33でホームランは1本。

また、岩手県大会で160km/hの球速をマークし、最も注目されていた高校3年生の夏に甲子園に出られなかったため、その時の印象が強いのも原因の1つかもしれません。

 

ではその2試合の大谷選手の出場記録と成績を見てみましょう。

2年夏(第93回夏大会)の成績

この頃、大谷選手はケガを負っていたため、ピッチャーではなくライトの守備位置で先発出場します。

ですが、4回途中から登板し、150km/hの球速を記録します。

これは、当時の甲子園での2年生の最速記録でした。

しかし、試合は8ー7で帝京高校に敗北。

この試合ではホームランもありませんでした。

試合前、取り囲む報道陣に対して放った「3日前に100%に近い状態に戻りました」という言葉は精一杯の強がりだったのかもしれませんね。

150キロを叩き出した5回表も、帝京の1年生捕手で9番に座る石川選手の安打を皮切りに2点を失いました。

そんな流れのなかで迎えた6回裏、大谷選手は同点打となる強烈なレフトフェンス直撃の一打を放ちます。

それは打者としての能力の高さを証明するものであり、「絶対に負けられない」という意地の表れでもあったのだと見受けられます。

しかし直後の7回表、大谷選手は石川選手に143キロのストレートを左中間に運ばれ無死二塁とピンチを背負います。

その後、二死一、三塁となり4番の松本が打席に立つ。

大谷選手は1ボール2ストライクと投手優位のカウントに持ち込みますが、4球目の146キロのストレートをライト前に運ばれました。

4番とはいえ「長距離砲ではない」と自覚していた松本選手は、普段からシャープにスイングすることを心がけていて、この時も強引に打ちにいくのではなく、ミートすることを最優先したバッティングをしました。

結局、これが決勝打となり、帝京に8−7で花巻東が敗れてしまいました。

試合後、

「(ストレートは)速いと思ったけど、打てないとは思わなかった」

「体の状態に関係なく、自分の力がなかった。もっと大きくなって甲子園に戻ってきたい」

と大谷選手はこんなコメントを残し、涙ながらに甲子園を去りました。

 

3年春(第84回選抜大会)の成績

大谷選手は1回戦の大阪桐蔭高校戦で、ピッチャーとして先発出場します。

5回までは2安打無失点・6奪三振の好投をみせますが、その後は調子が乱れてしまいます。

最終的に11個の四死球を出し、9失点(自責点は5)

試合も大阪桐蔭に9-2で花巻東が敗れてしまいました。

 

大谷翔平は甲子園の決勝に出ていない

 

決勝どころか、甲子園では一度も勝てなかった

3年生最後の大会では、

準決勝でアマチュア最速の160km/hを出してコールド勝ちし大きな注目を集めたものの、

続く決勝戦で敗れ、惜しくも甲子園出場を逃しました。

決勝戦は盛岡大付属高校との対戦でした。

この試合にも大谷選手は登板しています。

15個もの三振を奪いますが、「不運な判定」として当時物議を醸したポール際ギリギリへの3ランホームランを含め、最終的に5失点。

盛岡大付属5-3で花巻東が敗れ、高校最後の夏の甲子園出場は果たせませんでした。

最後の大会で甲子園への切符を逃し、甲子園での勝利を味わうことはできなかったようです。

結果的に高校時代の3年間、甲子園での勝利は一度も無かったということになります。

 

まとめ

・大谷選手の甲子園出場は、2年生の夏、3年生の春の合計2回

・甲子園通算成績は、防御率3.77、打率3.33、本塁打1

・高校最後の岩手県大会では160km/hを記録するも、決勝で惜しくも敗れて甲子園出場ならず

大谷選手の甲子園情報をまとめるとこのようになります。

現在の活躍からみると甲子園での成績は少し意外かもしれませんが、この苦い経験があったからこそ、大谷選手の今の活躍があるのかもしれないですね。